« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

意外な証明書・・・

何気にブログネタを探していると、宝くじと消費税とのタイトルが見えた。
中身を読んでみると宝くじの高額当選金についての内容であった。
つまり、高額当選をすると消費税などがかかるのかと言う事である。
結論からすると、どんなに高額であったとしても、法律上は非課税であるとの答えらしい。
よく、その当選金で高級車などを購入する人もいるようであるが、その当選者が請求をすれば、当選証明書なるものが発行され、税務署などから聞かれた際にはその当選証明書を提示することで、購入に関する税金等はかからないそうである。
とは言うものの、毎年ジャンボを少数枚だけ買っているが、タバコ代ぐらいにしかならない事が多いのが現状なのだろうと思う。
希望的観測で「当たればいいな」と言う当選発表までの希望や期待感を持ってすごす事に意味がある訳で、これが本当に当選すると普通の人なら、穏やかな状態とは行かないであろう。
今、インターネットなどでもロト6やナンパーズ、また宝くじに関する予想サイトが乱立しているが、今のご時勢では本当に宝くじなどすらもすがりかねないほどの経済状態の人達が増えている事だろう。
今年は特にアメリカの経済的な影響が本格的にこの国にも浸透素始めてしまう都市でもある。
したがって、去年以上に厳しさが一段と増してくる事は間違いないのである。
やはり、希望や期待をもって買うからには外国のようにキャリーオーバーの限度額を引き上げても良いような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それでも結果は・・・・・

2003年にある夫婦とその兄が自殺をした事件があった。
そもそもその発端となったのはヤミ金業者の厳しい取立てにあっていたらしい。
今もこのような非合法な貸金業をしている所があるようだが、そのヤミ金業者へ自殺をしたのは取立てとの因果関係があるとの訴えを裁判所が認める判決をだしたらしい。
当初の賠償額は約7600万円だったが、それでも結果は4800万円程度のものである。
今、ヤミ金業者への返還請求者は6000人を越え、その額も100億円以上であると言われている。
始めから非合法な利息で金を貸しておき、まして低所得者なのも知っていても貸しているのだから、当然返済を滞らせてしまう可能性も充分予想できたはずであり、最初から「弱いものいじめ」である事は明白であろう。
まして、厳しい取り立てに精神的に追い詰められてしまえば、どのような人間でも不安定になり悲観的になるのではないだろうか。
確かに人から金を借りずに生活していけるのなら、それに越したことは無いが、収入が少なくて、生活に困窮するような事があればどうしてもそのような所は知っていてもすがるしかなくなってしまうような気がする。
まして、その自殺された方たちは60代からの高齢者であり、もらえる年金などもそう高くはないはずである。
先週も50代の女性が住んでいた所から子供の遺体が発見されたが、その借主の女性も家賃が払えずに自殺をしていたらしい。
確かにそれぞれに抱え込んだ事情ににより払えなかったのだろうが、やはりそのような人の為に福祉があるはずだと思う。
このような低所得者への福祉制度への不備とも思えるような事を思うと、
本当に助けなければならない人をどれだけ把握できているのだろうと疑問に思うばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

急がないと・・・・

今日のトピックに17歳の高校生が転落死していたが、当時インフルエンザのにかかっており、その際、治療薬のリレンザが処方されていたようだが、その関連性に疑問が残っているらしい。
また、その当時に薬を服用していたのかも証明できていないようであるが、以前より、タミフルなどを服用した際に子供達の異常行動の例が報告された時があった。
数日前にもインフルエンザネタで、最近の調査によるとインフルエンザウィルスを調べてみると、耐性を持ち始めたのか、功ウイルス薬が効きにくくなっている恐れがあるとのニュース記事を見た事があった。
確かにウイルスとは生物などの体内に入ると、二十四時間程度の時間が経つとその数百倍程度には増殖をし始めるようで、その中で突然変位を起こして治療薬に耐性を持ってしまい、ワクチンが効きにくくなり、そして完全にワクチンでは治療できない上体にまで強くなってしまうものも出てくるのは時間の問題だと思われる。
確かに菌類では熱や乾燥、などに弱いがウィルスとなるとまた対応が違ってしまうので、本当に風邪だと思い込んでしまい、ウィルスが体のいたる所に侵入してしまってからでは遅い状態となる。
それに、毎年インフルエンザウィルスは型を変えながら流行してしまうので、早めに対応するワクチンを作り出さなければならなくなる。
とすれば、耐性を持ちワクチンも効き難いインフルエンザが流行したのでは本当に未曾有の感染者を出す結果になりかねないと思う。
そう考えると今の時代ウィルスと研究機関とのスピードが問題になる事は避けられないように思う。
今はまだ対応できる状態であるが、その内に完全な耐性型のウィルスが出現しない内に開発して欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

試算だと・・・・

製造業の業界団体の試算だと今年の3月までに約40万人が失業する恐れが出てきているようである。
去年の秋・冬と年末などを通して派遣切りを続けてきたが、今年になりその派遣切りが本格的な動きを見せてきている。
また、他業種でも解雇や削減策を打ち出しているとのニュース報道がなされている。
昨日のニュースでは、その製造業からの転職を考えてもらう良い機会と、農業団体などが、製造業からの解雇者を対象に、農業や林業などへの説明会を開いたとのニュースをやっていた。
確かに、今の林業などは人手不足であり、山自体の手入れが行き届かずに枝打ちをする職人が減り、山はあれてしまっているとのこと。
確かに今の林業や農業を考えれば収入と言う面では多少の減収となるだろうが、完璧な無収入よりはまだ所得があるので多少の余裕がある人ならこれからでも遅くないと思うし、また農業や林業に携わる事で、地方にも人出が分散をして過疎地域などへも多少なりの人口が移っていくように思う。
また、今の食べ物の自給率からすると農業への参加してもらう事で本格的にやれる人が少しでも増える事で自給率が上がれば、一石二鳥となるが、やはり問題は収入の面である。
家族や家のローンなどを抱えている人達はそうも言えないだろうし、まして子供が小さな人達はこれからがお金が必要になる。
やはり、政府機関や自治体がこの実態を精査して、何らかの手立てを講じる必要があるように思う。
そもそも派遣事業をここまで規制を緩和し、解除したのは政府であって、法律を作る立場の人間が、その規制を緩めたのだから何かしらの法的な保護や見直しがあってしかるべきだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トラブル続出・・・・

数日前に結婚を前提にした相手を紹介するサイトに関するトラブルの記事が出ていた。
結婚活動と取り扱った、いわゆる婚活と呼ばれるものだが、今その紹介ビジネスでのトラブルが続出していると言う。
年会費を支払い、希望に添ったような相手を紹介したり、イベントを開催してカップルを誕生させていくビジネスなのだが、紹介やイベントとの折り合いや料金に関するトラブルが増えていると言う。
確かに料金を支払っているのだから客の立場であれば、出来るだけ理想に違い相手の紹介やその様な人との出会いを期待をしてしまうのだろうが、あまり希望通りとは行かず途中で退会をしようとすると料金の返金がうたい文句とは違っていたり、またいくらイベントへ参加してもあとは本人の努力次第だと言われてしまったりと、いろいろなトラブルが発生しているようである。
確かに今、少子化時代であり、結婚そのものが大変難しくなってきているようである。
そのため、結婚そのものがビジネス化してしまっているのであるが、はやり仕事とは言え、こればかりは相手があっての話であり、当然、一方的な都合や条件だけで決める訳にも行かず、イベントや紹介などで出合っても途中で終わってしまう事が多いのではないだろうか。
確かに結婚とはしないよりもしておいた方が何かと都合もよくなるだろうが、その分何かと制約も受けてしまうのも事実であろう。
今の若い人達は、自分の生活自体が結婚によってどのようなメリットとリスクを背負ってしまうのかをしっかり見極めながら相手を選んでいるようだが、それでも一緒に生活をしてれば、それなりに不平や不満などが出てくるのが人間の習性といっても良いのかもしれない。
その覚悟も結婚には必要となってくる事を忘れてはならないであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

海賊版天国?・・・・・

以前から、海賊版が氾濫しているとの事で中国が名指しで非難をされている。
確かに人気があるキャラクターなら誰しもがお客を呼べるものを真似したいと思うが道理だろうと思う。
しかしキャラクターのぬいぐるみや商品のロゴなど、著作権などを全く無視してしまって、堂々と自分達の意見を押し通すのはいかがなものかと思うし、また自分達がその逆の立場であったらすぐに訴訟へと持ち込むはずである。
確かによいことへの真似はすべきだろうが、それだったら真似をされるような事を企画して作り出せば良いだけの話なのだが、それすらもせずに人気にあやかろうとして、類似のモノを出すだけで収入を得ようとするのは本当に良くないように感じる。
確かに類似文化と言えばそうも言えるが、あまりにその様なものにはオリジナリティも無く、また新しいものが流行ればそれに飛びついてしまい、結局そのブームが去ってしまうと、次の流行りものを追いかけるけっけとなってしまうように思う。
そうなると創造性もなく、ただ物まねだけでは一向に向上もしないし、発展性も無い、なら自分たちの独創性を生かしたキャラクターなりを作り世界中にアピールした方がまだマシなように思う。
いずれにせよ、あの国のどこかでは同じ様な事の繰り返しとなってしまっているような気がして何とも残念な感じがしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

物を壊す子供達・・・・

今日のトピックに、交番とパトカーのガラスを割って逮捕された少年の記事が出ていた。
最近、このようの公共物や他人の家などのモノを壊す子供達が増えてきているように思う。
いゆわゆる「キレる」子供達と呼ばれるもので、遊び半分や周りに人に叱られその自分が抱えた不満や鬱憤を物を壊す事でうさをはらすような行為は非常に残念でならない。
また、万引きなどでもそうだが、見つかったら商品代を払えば済むと高をくくり、何ら犯罪意識の薄い人間も増えているようにおもう。
確かに物は弁償も出来るし、新しいものに変えられるが、それよりその物を壊したり、盗んだりする事でしか自分を表現したり、うさをはらす様な人間としての度量の狭さや行いのつまらなさに情けないと感じる。
まして、捕まってから自分のやった事を反省するなどと言うが、本当に心から反省をしているのすら疑問である。
形だけ、文章だけの反省ならしても仕方が無い様な気がしてならない。
確かに今の時代物は豊富だが、心は非常に貧しくて殺伐としている人間が増えている証拠なのだと思う。
自分の思うようにならないと周りや他人に責任を押し付けて、自分を正当化させてみたり、つまらない屁理屈を並べ立て言い逃れようとする態度なども見られるように思う。
人間、自分の行いは幼児ではない以上は責任は自分でとるのが本筋ではないだろうか、また誤った事をすれば、お詫びをし、あたらめることこそが人間でしか取れない行動なのだと思う。
やはり、人格や性格、また社会的な規範の感覚が育つのは家庭においての影響が大きな要因ではないだろか。
周りの大人が「これぐらい」との曖昧な感覚で行動をしているといつか彼らは真似をするようになってしまうので、大人自らが自分の行動を常に気をつけるべきなのだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代の縮図・・・・・

今日の午後、ある場所で、認知賞の母親が家の中で凍死し、その浴槽の中で50代の息子が病死したらしいとの記事を目にした。
確かに今は介護ビジネスも盛んになり、いたる所に外語支援事業所が出来始めている。
しかし、その事業所の数が足りずに今は順番を待っているじょたいであり、、また最近は介護度の認定が進み、以前のような介護度とは異なる判定が下りる事が増えているようである。
今、急激な高齢化社会を迎えて、介護をする人間そのものが高齢化し始めている悪いケースになってしまったように思う。
まさに現代の縮図のような場合であると思われる。
やはり、介護は家族だけの努力だけでは限界もあり、また将来的に介護への不安やストレスによって精神的に追い詰められてしまって、肉体的また精神的にも限界を超えてしまうとこのような介護する方も、またされる方にも目が行き届かない場合が、これから増えてくるような気がしてならない。
また、地域との接点が減り、死後にこのような離れて住む家族などに発見されてしまう事もこれからは増えてきそうである。
やはり、これからは地域との連携を保ち、また地域ぐるみでの介護のあり方を考えなければならない時代になって来ているような気がしてならない。
この件を対岸の火事的な物の見方をしている人も居るのかもしれないが、もしかすると後数年かもしくは近い将来、自らの身に起こる得ないとも限らないと言えるのではないだろうか。
やはり、介護は介護保険があるから大丈夫だと言う甘い考えを改めて、これからは、少しでも介護をするには国や県、地方自治体などの行政を含めてこれからの介護を少しでも家族や地域を含めた見直しと対策を打たなければならない時代になりつつあるような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自宅の姿は・・・・

人と言うのは非常に外見を気にする生き物なのか、自宅での見られたくない姿のランキングと言うのが発表された。
やはり、会社やお付き合いなどの場ではさわやかな感じを保っていても、いざ家に帰れば、どんな人でもごく普通のリラックスしているのだろう。
やはり、自宅に帰れば普段出来ないような、鼻にティッシュを詰めたり、寝巻き姿でゴロゴロしたらり、寝癖などの髪をそのままにしたり、風呂にはいらなかったり、顔を洗わずに過ごしなど、確かに平日の出勤日を除いては、面倒になりがちで、特に日曜日などはこのような人が多いのではないだろうか。
人間とはそもそも何事にも不精に出来ている生き物なのかも知れないし、これが、平日だとやらなければとの感情が働いてしまい、イヤイヤながらも動きはするのだろうが、やはり、翌日などが休みの日などとなれば、確かに緊張感なども緩んでしまい、そうなるのかも知れない。
また、ドラマや映画を見て泣いている姿などを見せたくない、、などと言う。
しかし、これは素直な感情をあらわすものなのだが、どういう訳か泣き顔と言うものを周りの人には見られたくないと感じるらしい。
日本人とは古くから感情を表現したり、また思ってだった感情を表すのが下手であり、人に見られたり、知られたりするのには抵抗感があるらしいためではないだろうか。
外国だと正直に自分の感情を表して、顔への表情へ出してしまう。
また、この見られたくないものへの判断基準も男性と女性では本質的にちがうように感じる。
やはり、泣いたり怒ったり、つまり喜怒哀楽を人に知られる事で、何か自分の感情の動きを見られてしまったように感じる事への抵抗感が働くのではないだろうか。
もし、これが夫婦や恋人だったらどうなるのかを考えると、微妙で複雑な心境になるかも知れないが、感情の表現や感覚の受け取り方の違いは千差万別で個人的な感情のレベルによって異なるので、本当のところは大変難しいのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

落ち着く・・・・

昨日、動画サイトを見ているとあるアニメのエンディングテーマ曲がたまたまその検索にヒットした。
以前から気になっていたのだが、いつも途中で忘れてしまい、後で気がついて、延び延びになっていた。
アニメ自体の設定は近未来の情報ネットワークが張り巡らされ、いつしか電脳状態の生活があたりまえになったと言う設定である。
その中で人の過去の記憶と潜在意識の中での奇妙な接点から物語りは始まっていく。
アニメ自体も見方によってはすごく面白い作品になっているのだが、それにもオープニングとエンディングテーマ曲の選定がぴったりにハマっていて、作品の雰囲気にマッチしている。
最初からこれを知っていたのではないのだが、たまたま夕方に家の雑用をこなして、休んでいた時にこの曲を聞いてから、気になりだしていた。
普段、あまり意識はしてないが、人間とは肯定する自分とその中で、否定をする自分がいて、つまり人間には二面性があり、その間を揺れ動きながらいつも生活をしている事を表現している。
また、その不安定な時でも人とは一人では無いことも歌詞の中に入っていて、曲自体はスローなのだが、なぜか納得と言うか、うなずけたり、思い当たったりできるのである。
それにあまり歌詞を詰め込まずに、シンプルで表現がその文豊な事、また誰しもが時としては経験したであろう、孤独やジレンマなどを上手く歌い上げているのである。
やはり、歌とは聞くものの心へ投げかけるものがあると、聞く方も落ち着けるような気がする。
確かに今の流行の音楽でも充分だが、もっと内面を掘り下げて、過不足の無い歌詞と耳にすんなりと入ってくるメロディの歌は言葉では言い表せないほど耳にしては落ち着くものである。
やはり音楽とは、聴くものを元気にもするし、また逆もありうる効果を持っているように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

法を変える?・・・・

鹿児島県のある市長が「辞めてもらいたい市議」とのタイトルで、自分のブログに人気度を計ったらしい。
以前にもこの市長は公職選挙法違反の疑いで、警察から話を聞かれていたようである。
実際の話として、市議選などと言うものは、やはり地方だと部落意識と言うか、知っての中の出来レース的な選挙となる傾向があるために、なかなか新人が当選し難い傾向がある。
また、古くからのつき合い等などで、政策などを精査するわけでもなく、今までの功績等から安易な判断材料で票を投じる事が多いような気がしてならない。
また、当選をもくろんで選挙が近くなると、やたらと顔をあちこちに出し始める市議などもいるし、有権者のご機嫌うかがいがみえみえのように思える。
今回のブログでの市議の人気度としては確かに野次馬的な物の見方で、見る人もいるであろう。
しかし、このような声に出てこない声に耳を傾ける事も大事なのではないだろうか。
自分は選ばれたからと、やたらと自己中心的で思い上がっていまし、人を見下ろすような態度を取る市議などもいるだろうし、また、視察だといいながら、観光旅行などを平然と理屈を並べて正当化するやからもいる時代である。
あくまでも法があって、人がいるのではなく、人がいて、法があるのである。
中心は人であって、法は人が集団で生活を営み、社会を形成するために守るべき最低限のルールであり、規則である。
それらを率先的に決めたり、問題点を洗い出し、アセスメントするのが市議である。
目先だけの功績で選んでしまい、後から「だからあの人は・・・」とならないとも限らない。
また偏った政策等などや自分の狭い了見や損得感情で動いている人物などもたまに報道されてるのを時々見る事がある。
やはり、当選したからには公人として、分け隔てなく、また誰からも公平ですばらしい市議会の運営を託すからには、むげにこのブログの事を非難できないように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久々の緊張・・・・

先日、大切な人から招待状が届いた、結婚式の招待状である。
当の本人には子供が生まれており、正式にはもうおじいちゃんとなるのだが、これも今の流行なのか、いわゆる出来ちゃった婚である。
父親とすれば、正式に披露宴をしてからと思っていたのだろうが、あいにく逆順になってしまい非常に複雑な心境らしいところだろう。
今回は、やはり正式に式を挙げる事で彼らも夫婦としての自覚を持ってもらうための意味も込めてのことだと思うが、やはり呼ぶ方としてもいろいろと気苦労があるのだと思う。
しばらくぶりで、招待状の出欠の葉書を前にして、緊張しながら、一字一字と自分の住所と名前を書く。
自分の住所を書くのにこんなに緊張をするとは全くおかしな話である。
こんな時、筆の達者な方がうらやましいと思いながらも、自分の普段からの筆不精に困惑しながらも書き出した。
大雑把に読めれば言いや、と言う気分で文字を書いているので、楷書体で文字を書くのは久しぶりである。
しばらく葉書とにらめっこをしながら、点やはね、はらいを書き、何とか書き終えた。
たったの二行を書くのにこれほど緊張するとは、妙なおかしさで思わず苦笑いをしてしまった。
少し前までは一年に2・3回は結婚式の案内状が来ていたが、これも月日の流れなのだろう、さすがにこの歳になると、御呼ばれする回数はかなり減ってきている。
いずれにしても結婚式と言うのはある意味、人生のけじめでもあり、社会に一人前になったことの証とも言える。
家庭を持ち、家を構えそして子供を育ててみて初めて人と言うのはその苦労や心配などをしてこそ、自分も同じように成長をして行くのだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある村での祭り・・・

ある雪深い村で、子供達が地蔵さんを引きながら、村の各家々にあいさつに行くと言う年初めの恒例の行事が紹介されていた。
その村には昔から続いていたそうだが、最近は小子化が進み、一時期はその行事も途絶えたそうであるが、また復活をしてきたらしい。
昔はどこの家にも子供会なるものが存在していて、子供同士のコミニュケーションをお祭りや、部落のレクレーション活動の時などには活発にしていたように思う。
それに、学年の大きな子ほど低学年の子供の面倒をみるような仕組みになっており、そこから人間関係が作られていたように思う。
つまり、人間関係の最小単位がそこから作られてきた訳で、いわゆる団体行動の基本的な事はこのようなところから始まるといっても過言では無いような気がする。
その村ではひっぱてきたお地蔵さんにはたくさん雪がついており、あいさつに行った家の玄関にその雪を落すのだが、たくさん雪がついているほど、福を呼ぶと言われて、喜ばれるらしい。
なんと素朴であり、昔ながらのおおらかさを感じさせる風習なのだろうと思った。
昔の子育ては、そのように伝統や昔の風習から行われる行事を通じて、子供同士や親同士が親密な人間関係を形成する場でもあったように思う。
今のような個別の理由により、団体とは親交をしない人達が増えている現代では、そのような行事はもっとも大切なのではないだろうか。
常に人間とは、上下関係や横の同世代の人間との付き合いを通じて、自分の立場を知り、またその一員でもある事自体が大切なのだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忘れないように・・・・

1月17日は阪神・淡路大震災が起きて14年が経つ、本当に月日の流れは早いものだと感じるものである。
あれほどの震災であったにも関わらず、着実に復興を果たしてきたのもすごい事だが、逆境や不幸にもめげずに自らを奮い立たせてガンバてきた人間の努力と忍耐力はもっとすごいと思う。
震災当時、倒壊した建物や構造物で一面が何も無い状態となり、その上、あちこちで火災なども起きてしまって、本当に復興するにはかなりの時間がかかるように思われたが、それにしても人の意思や力のすごさには頭が下がる思いである。
確かに、避難所などでの高齢者の孤独死や、震災で壊れた家の立替の問題、また居住場所などの区画に関することなどあとからの様々な問題も出てきたが、それらを乗り越えてこうしてりっぱに再興してきた。
毎年、この日に震災の犠牲となられた方の冥福と震災自体を忘れないようにしようと、集まってはお祈りをしている報道テープが流れてくる。
しかし、それでも人の記憶と言うのはわずかながら薄れていくもので、こればかりは仕方のないところもあるが、震災とはいつ自分の住んでいる所で起きてもおかしくないと、普段からわずかでも備えておく心構えが必要なのかも知れない。
ただ、ぼんやりと他人事にしてしまい、なんら備えなどもせずにいると、いざと言う時に、本当に困ってしまう事になるだろうし、また、被災時に対応できるようなアイデアなどもラジオやテレビ、インターネットなどでも調べると必ず出ているはず、やはり重要なのは普段からの心構えと、大げさではなくても充分に対応できる程度の装備や必需品の準備であろう。
また家の家具などの転倒による怪我や、その後に起こる火事なので二次被害を出さないような工夫も忘れてはならない事に尽きるともいえる、せっかく助かっても、壁などの倒壊に巻き込まれたり、火災などにあってしまうと元も子もなくなってしまう。
普段から、休日などを利用して、持ち出し品などを集めたり、またいらないデイパックなどを利用して、非常の時の持ち出し袋などを作っておくのも良いのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ボランティアとは・・・

先程、年越し派遣村の記事が出ていて、ある大学生の経験談が投稿されていた。
いまや、8万人以上出るであろうと予想される非正規雇用者や季節労働者といわれる、いわゆる派遣社員である。
昨日もある電機メーカーが派遣及び正規社員の早期退職を募っているとの記事も見ている。
あるテレビ番組ではワークシェアリングの事をやっていた。つまり社員を解雇せずに、その代償に給料の減額と労働時間とを上手く交代制にして、労働時間を賃金を均等な条件で社員へ支払うことで、バランスをとろうと言う事である。
以前より、外国ではこのワークシェアリングは制度的に政府機関自らが実施をして、その低くなった賃金を政府機関が助成すると言うものである。
前年ながら、この国にはワークシェアリングのシステム自体が広まっておらず、また認知度の低さもあり、まだ導入されている企業は少なく、また実施しても政府機関からの助成も無いために、いま一つ煮え切らない企業が多いように思う。
やはり、このような不景気対策には民間のボランティアなどや支援団体等後からばかりではなく政府機関からの何からしらの助成が必要となると思われる。
その記事を投稿した大学生は、就職の内定が決まっていたらしいが、テレビ関係の希望を持っていたために、留年してわざわざ現場を知るために、派遣村へ行って、実際にその体験をしてきたらしい。
やはりボランティアは絶対なくてはならない団体であろうし、また、無くすことは出来ないと思う。
以前にも、あるパックツアーなのだが、ある観光地のゴミを綺麗にするボランティアツアーとのタイトルで募集をしたところ、結構な人数の応募があり、ツアー会社がその意外な反応に驚いていた。
ここ数年の地球温暖化の影響を報道で知って、地球環境への関心も高まったのが原因と思われる。
やはり、ボランティアとはお金や人の問題もあるだろうが、何をおいても志をもって望む事が最優先であろうし、またそうする事で、人間関係の和が広まるのもボランティアならではだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

波にのれたら・・・・

今日もログインして、トップページを見るとあまり楽しい記事がなかったので、一年も動き出した事だしと思い、一部無料の占いページへ飛ぶ。
今年一年がどんな年になるのか、一応当たるも八卦、当たらぬも八卦で、生年月日を入れてみたところ、まずまずの結果であるようだ。
しかし、何事も調子に乗ったり、慢心をし過ぎての失敗には気をつけないといけないとの結果である。
確かに、何事にも慢心や過信も度を越せばその代償は高くついたり、信頼を失ったりとよいことは一つも無い。
つまり、当たり前に過ごせと言う事なのだろうと思う。
過度に背伸びをしたり、調子が良いからと何でもかんでも手をつけたり、慢心しておざなりな事をやったりすると、周りから嫉みを買ったり、また裏切られたりするので充分注意をするべきだ、と言うことなのかもしれない。
しかし、そこは人間の欲なのだろう、良い波があれば乗りたくなるのは当然とも思うが、世の中そう甘くないし、世の中は複雑なシステムなので、
結果とは違うことも計算に入れてかからないと非常にまずい。
それに占いと言うより、人間関係の常識からすれば当たり前のような気もしないではないが、やはりこのような時でもなければ改めて意識をするような事も無いであろう。
しかし、気になるのはやはり不景気の影響もあり、金運である。
会社勤めの人ならまだしも、自営業者にとっては本当にこの不景気をどう乗り切ろうと考えている最中でもあるだろうし、非常に頭の痛い年になるのではないだろうか。
しかし、占いは一生懸命に仕事をすればそれなりにはやっていけるような結果であり、これまた当たり前の回答となってしまった。
つまりは見る人の気持ち次第でどうとでも今後変化していくものであると言うことも言えるだろう。
やはり、気持の持ちようで一年がどう変わるのかは本人次第であり、この一年を良くするも悪くするも、あくまでも心の姿勢で変化すると言うことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

薄弱な根拠・・・

某テレビ局で作成されたブログが一ヶ月そのままにされて嘘の情報を流していた疑いがあるとの記事が出ていた。
確かに、テレビ、新聞、ラジオ、インターネットなど情報源として活用されているメディアは時代を追うごとに増えてきたが、何かしら根拠を持った話題やニュースを報道していたように思う。
確かにある大学の実験で、ある数人の人間へあるくじに当たり、お金を人数分で分けるようにとメールを打ち、その数人のメールを経て、最後の人へメールがきた時には、その均等に分けるはずの金額が最初に打ったメールとは違って減っていた、と言う。
つまりメールを受けてから送信する際には相手は何も知らないので、適当な理由をつけて金額をごまかしても分からないと判断をして、次の人へ金額を少なめに打ったと言うのである。
今回のブログの嘘も同じようなもので、何を書いても根拠自体の確かめようも無いので、ブログでの嘘をそのままにしておいても害は無いだろうと思ったのではないだろうか。
確かに、ブログにはニックネームを使い、プロフィールにも個人特定されないようになっているので、嘘を書いてもそれはばれる事も無いだろうし、また確認のしようも無いのが現実であり、これだけ沢山のブログがあるので、本当の話もどれだけ書いている人がいるのかを考えれば、ことの真偽を見抜くのは至難の業ともいえる。
しかし、今回の場合はテレビ局と言う、情報を扱う上では慎重にしなければならない報道機関である。
一歩間違えば、情報操作していると思われても仕方の無いことだと思う。
確かに、新聞なども気によっては多少偏った記事もあり、公平性が微妙に難しいところもあるとは思う。
やはり、情報を扱う会社とは厳格にその規定やルールを守ったうえでの情報を扱うべきであろうし、薄弱な根拠の上での情報はむやみに出すべきではないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

成人の日・・・・

今日は成人の日で休日である。
毎年、この日は都会へ行っていた者たちが田舎に帰省しているので、同窓会なども同時行われる事が多いようである。
しかし、明日は平日日なので、大半の市町村では夏に行ったり、昨日あたりに行うところが多いようである。
最近、成人式に羽織と袴すがたの若い人の姿が多くなったように思う。
もともと成人式は昭和のはじめ頃、ある工場での歓迎式が今のように変化したものだと聞いた事があり、元々は成人式と言うものはなかったらしい。
今ではお祭り気分で会場のどこかのイベントのような雰囲気のところが増えてしまい。
何を祝うのかさえはっきりとせず、また呼ばれた方も調子に乗ってふざけ半分で問題を起こす者さえ出る始末の所まである。
確かに、その様な人間はごく少数ではあるが、公の場で問題を起こすのはいくら成人だからと言って許されるはずも無い。
それに大人の仲間入りなのだから、感謝をしても良いぐらいであり、騒ぎを起こすなどとは大人の行動とは到底言えない。
数年前にも、成人式があまりにも不道徳な人間達のために、式をやめようとした自治体さえあわられた時もある。
一体、誰のために、何のためにこの式をするのかをよく理解すべきであり、「オレは自治体から呼ばれたのだから当然だ」と言うような態度は言後同断であるように思う。
それに、20歳になると言うことは逆を言えば、権利も主張出来る反面その義務も負うことになるのである。
その辺の理解をキチンとすべきであり、もし今までどおりの延長線上での子供のような甘い考えもっているのならすぐに捨てて、考えを改めるべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜこんな事に・・・

今日埼玉県のあるところで家を全焼する火事が起きてしまった。
その家には、年老いた女性が住んでいるようだが、その火事の原因と言うのが、電気代を払えず、電気を止められてしまい、変わりにロウソクの火を使って明かりを取ろうとした際に、家の何かに燃え移り火災になったようである。
なぜ、こんな事になるのだろう、年々もらえる年金が少なくなり、年金生活者は食費やその他のいろいろなものを切り詰めながら生活しているというのに、なぜこんなつまらない理由で、家を失わなければならなかったのだろう。
報道によれば、その人は生活保護を申請中で、もう少しで認定されるはずだったという。
始めから電気を止められないように、年金の額を少しでも多かったら、不払いにより止められることもなかったような気がする。
どうして、この国のシステムとは弱者ばかりに負担を押し付けるのか不思議でしょうがない。
官僚や政治家などの集団的な無駄遣いはいまだに解決もしていないし、そればかりはその無駄遣いを巧妙な手口で隠そうとまでしている。
今回の事故は、必要な人へはお金が行き渡らなかったりしたためのような気がしてならない。
それに固定給付金の件でも、その後近いうちに消費税の利率を上げるといっているので、いくら給付金をもらってもあぶく銭となる公算が高いようである。
いつも思うが、美味しい誘い文句を並べて票を稼ぎ、首尾よく議員バッチを付けられる時代はもうこの辺で終わりにしないと、いつまでたってもこの悪循環を繰り返す事になる。
いつかはその根元を絶たないと、ずるずると引きづり、また言いようにごまかされ続けていってしまうような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

低気圧の・・・・

ここ数日、低気圧の影響で、海も山も大荒れの天気が続いている。
いつも新年あたりでは強い風邪が数日続いているのがあたりまでなのだが、これほど続いているのはあまり記憶に無い。
去年の年末から非常に雪が吹雪いたり、突風や風雨などが各地で観測されて、特に運輸機関は混乱続きだったように思う。
以下に便利になったとは言え、自然の力のすごさには、所詮人間の作り出したものなどは敵いようもないのかも知れない。
自然とは、それほど人間の創造をはるかに超えた力や、勢いがあり、いくら知恵を絞り対抗しようとしても限界があり、その限界をいとも軽々と超えてしまうのが自然なのかも知れない。
今の人間は便利さを追求するあまりに、それらに馴れてしまい、自然を軽く見ているところもあるし、また、ここ数年から、自然界の中でも、徐々に季節のサイクルや生態系の生存限界区域が変わり始めている。
ある映画で、「デイア〇タートゥモロウ」という地球環境がある突然に、急激な変化をして、氷河期を迎える映画がある。
地球の温暖化が進み、氷河の溶解が進み、海水の濃度が変化して、海のバランスが崩れるというストーリーだが、丸きりのSFストーリーのような気がしなくなってくるような不安さえ憶えてしまいそうである。
海水の温度がいたる所で高くなり、その影響で氷河が解けて、上手く海水の循環サイクルが変化をしたために、本来凍っていたはずの所が解け始めて水位の上昇を招いているような気がしてならない。
本当に今の二酸化炭素の排出規制だけの状態で暮らして行くと、おそらく予想を超えた速度で、この地球環境破壊は加速度的なスピードで進み、まさに空想科学とは言え、あの映画さながらのような大規模な変動を将来的に生み出してしまうような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

皮肉な繁盛・・・・

昨日もこの不況の影響で、招き猫の売れ行きが好調であるとの記事を書いたが、またしても好調な商売があるらしい。
それは不要になったオフィス家具を買い取る商売である。
ここのところの不況で、会社の倒産や廃業、自己破産等が相次ぎ、office用品や家具の売却が増えているようである。
大手買取会社などは、あまりに在庫を抱えすぎてしまい、大口での買い取りは休んでいるようである。
考えてみると皮肉なものである、バブルが弾けて今になってやっと落ち着きを取り戻したように見えたこの国の経済も、外国の破綻の影響で、足元をすくわれるように、また奈落のそこへ転落をするとは考えもしなかったであろう。
一部の投資家達は、これはある程度の予想が出来たことかも知れないと言ったが、やはりフェッジファンドや物価を高騰させてしまう、いわゆるマネーゲームをしていた人間達にとっては非常に手痛いしっぺ返しの結果だと思う。
これからは、このような中古用品を扱う商売がその勢いを取り戻すのではないだろうか、捨てる神あれば拾う神りで、この世の中はいずれにおいても商売にならないものは無いはずである。
確かに、破綻や倒産をしたモノを買い取るのはあまり気分的には抵抗があるが、これからは何をおいても安く手に入れて、しっかりと使う事に注目をしていかなければならない時代であろう。
またこれがエコロジーにもつながり、環境的に無駄な製造を制限できるメリットもあり、逆転の発想をすれば、環境的にも不必要なゴミも出さない事にもつながっていくと思う。
これからの時代は何をおいてもリサイクルへの関心を高めていかなければならないようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その名も・・・

佐賀県唐津市の離島にある、宝当神社とい宝くじファンなら知らない人が無いほど有名な神社がある。
その島の猫たちの中にちょと有名になった猫がいる、その名も「かね」チャンと言う。
その島へ宝くじをの当選を願い訪れた人達にまぎれて数年前にお土産やさんにお客さんを引っ張るようにして店の中に入ってきたことから、店の主人がその名をつけたようである。
ある夫婦などは結婚後しばらく子宝に恵まれなかったが、その島を訪れた際に、「かね」ちゃんをなでた所、すぐに子供を授かったらしらい。
やはり人間とは何かの縁起にあやかりたいと思うもの、噂が噂を呼び、瞬く間に「かね」チャン人気が沸騰してきたらしい。
黒と灰色の毛のしま柄の猫で、島を訪れた客たちはその猫を可愛がっていく事からちょっとした話題になっていると言うものである。
昔から、猫は招き猫などに例えられるように福を呼ぶとされ、縁起物などには昔から猫の置物などがある。
誰もが高額当選を夢見て購入をして大晦日を楽しみに待つ、当たる当たらぬは別としても、抽選日を心待ちにして暮らす楽しみもあるだろうし、宝くじの楽しみ方は人それぞれにあって然るべきであろう。
よくジャンボ宝くじが当たると噂になる売り場へと人は殺到をするが、人それぞれに縁起の担ぎ方も違えば、しまっておく場所もそれぞれに違う。
よく高額当選者の話を聞くとその通りにしている人もいるだろうが、それで満足できるのであれば、それも一つの縁起の担ぎ方なのだろう。
苦しい時の神頼みでも、やはり希望を持って生活をする楽しみを失いたくはないものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あんこう鍋・・・

ブログネタの検索項目であんこう鍋というタイトルがあった。
今では東京でも有名店となると、半年待ちとなってしまう店さえ出てしまうほどの人気ぶりらしい。
昔はあんこうと言えば、不気味な風貌で、口が大きく、つかみにくい魚なので、よく魚屋の店先につるして売っていた物である。
しかし、今は漁獲量が減っているのかかなり小ぶりのモノが大半を占めるようになってきているようである。
それにあんこうを上手にさばける人も少なく、買っては来たが、どうさばいてよいものやらと頭を悩ませるために、魚自体を食べる人が少なくて、売れ残るとよく地元の人達がそれをさばいて鍋に入れて食べていたものである。
やはり、冬の魚の鍋と言えばたらとあんこうが一番美味しい季節であろう。
今は養殖モノの魚も増えてきて、ハマチや鯛、などはほとんどが生簀で飼われて大きくしたものが出回っているのが現状だろうし、また貝類にいたっても今は禁漁期間を設けて、歩いて度大きくしてからのいわゆる育てる漁業の結果が出てきたのであろう。
世界の各地で日本食ブームとなり、マグロの漁獲量規制の動きも出てきている今、やはり採る漁業から、育てる漁業に将来性を見出す時期なのかもしれない。
そう考えれば、あんこうの漁獲量も年々減ったり増えたりを繰り返してりうようで、近い将来あんこうの養殖などに乗り出す企業も出てくるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

七草粥・・・・

今、ブログネタでの気になるランキング項目で、七草粥の作り方を言うものを見つけた。
春になると七草をお粥にして食べ、今年一年の無事と無病息災を願う。
考えて見ると、昔はその様に普段当たり前に生えている草などを食べて健康を祈願を願う風習などと言う物はどこにもであり、いわば生活の知恵の一部だったのではないだろうか。
普段はあまり注目もしないが、それらを食べて自然を感じながら、またそれらに感謝をして健康への注意も怠らずに自己管理しようと考えていたのではないだろうか。
今は春の七草も専業の農家の人達が育ててセットで販売をしているようであるが、昔は外へ出るとどこでも見ることが出来たのかも知れない。
また、この国には季節ごとにその時々に生える草花などを楽しみながら、時にはそれはそれらを食することで、季節を知り、自然への慈しみの気持を持つ事も目的としてあったのかもしれない。
今はどこのスーパーもハウスモノと呼ばれる、人工的に栽培環境を調整して作られた野菜や果物が増えてしまい、あまり季節感というのがなくなってきてしまっているように思う。
本来、季節によっての収穫される野菜や果物などを見たり、食べたりして、その時々の自然そのものを感じる事を楽しめなくなって来ているのかもしれない。
確かに今の農業の経営も変わってきてしまっているので、売れるモノを作ろう、金になるものを作ろうとしている、確かにそれは良いうと思うが、あまりに日本人の季節感自体が今は麻痺をしているように感じる。
そのサイトの続きにお粥の作り方も出ていたが、地方により焼いた餅を入れるところもあるようで、雑煮にも地方により入れる具や作り方が違うのと同じで、それぞれに特色があって、これもお粥ならではの楽しみ方なのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大うけの・・・・

今日から仕事始めとなった会社や職場などが多いのではないだろうか。
やはり年の初めとなれば、人気となっているのが、占いとダイエットサイトだと思う。
やはり、今年一年はどんな年になるのか皆気になるだろうし、もし想像に反して悪い場合の切り抜け方などを知りたいのであろう。
そして、もう一つはダイエットサイトである。
正月休みに家にこもったまま、食事でおいしいものばかりなどを食べ続けたばかりに、正月太りになってしまい、休み明けにスーツや制服などがきつくなる人もいるだろう。
この年明けは本当に緊縮財政だった人達もいただろうし、あまりお金を使わずに過ごした人達も結構いたのではないだろうか。
やはり、気になるのは金運や仕事運が一番で、そのあとに恋愛や結婚運などがついでに知りたくなるのではないだろうか。
当たるも八卦当たらぬも八卦でとにかく何かしらの方向性を見出すために、この占いサイトは年の初めにアクセス数が増えるらしい。
しかし、いくら当たると言っても、占いどおりに人生は進むわけでもないし、だから悪い事ばかりが続くとも限らない。
一般的にはよいことは信じて悪い事には受け流す人達が多いと思う。
やはり、占いを行う前には自分の性格なども事前的に分析や観察をすべきだろうと思う。
その上での占いの結果との相違点を見出し、自分にとっての最良の結果を導き出すものだと思う。
それもせずに占いばかりに責任を転嫁するのも間違いだし、悪い結果だからと悲観的に生きるのも間違いだと思う。
いずれにせよ、今年一年を生きるのは自分自身なのである。
自らで判断して結果の良い人も、悪かった人も過ごすべきであろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

静まり返る・・・

街もひとしきり賑やかだったが、今は正月のお客も帰ってひっそりと静まりかえりつつある。
あの大晦日の賑わいが嘘のようである。
本当に2・3日前まではスーパーも商店街も人手賑わっていたとは思えないほどに静かになってしまっている。
明日からは元の生活に戻ってまた変哲も何日常の繰り返しとなっていくのだろう。
しかし、時間は確実に流れて行き、静かに動き出してる、あと2ヶ月もすると年度末となり、各役所や企業などがいろいろと整理に追われ始める頃でもある。
去年から今年の年始にかけてなぜか強風と寒波が続き、晴天ではあったがなぜか穏やかな年明けとはならなかったような気がする。
しかし、良く考えて見るとこのブログを投稿し始めてから後半年で一年となる。
時間の流れは非常に早いものだとつくづく思うものである。
今年はいつもより不況色が強くて、どうなるのか全く見通しが暗いが、とりあえずは年を越した。
それに、各地では年始の恒例行事が行われる頃である。
豊年や大漁、家内安全や無病息災を願い、地元の有志が集って一年の無事を祈り一生懸命に盛り上げる事だろう。
一年の初めにあたり、本当に今年は気を引き締めてかからないと、本当にこの状況を乗り切るには大変な年となりそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年賀状の怪・・・・

今日で正月の3ヶ日も終わりとなってしまう。
昨日から、遅れだった年賀状をだしてやっと終わったが、いまだに数枚ずつはいまだに年賀状が届いてしまう。
ポストを見て、年賀状が入っているのを確認し、差出人を見ると、昨年は年賀状が来なかったので、今年は出していない人物である。
あれっ?確かこの人には年賀状を書いていないはず・・・しまった年賀状を使い切ってしまったと言うか、ぎりぎりの枚数しか購入をしていないので、余分な年賀状は手元には無い。
急いで郵便局まで行って年賀状を買ってくる、PCを起動して年賀状リストから宛名を探す。
今までご無沙汰をしてしまい、年賀状を書かなかったので、今年も来ないであろうと思っていたら、今年になってまさか来るとは思いもしなかった。
焦りながらも数人の年賀状を印刷しポストへ持っていく。
意外と年賀状などは出すと、喪中だったり、出さないと逆に届いたりと全く音信が少ない人の事は分からないものである。
本当に年賀状の怪である。
良くお世話になった人達には出して入るが、遠方の人達や、普段余りお付き合いの少ない人達には近況が分かり難いので本当に困ってしまう。
しかし、今はコンピュータが発達して、キー操作をちょっとするだけで宛名や差出人の設定などが簡単に済むので非常に便利な反面、それらに依存をしてしまい、あまりかかわりの無い人への関心が薄れてしまう心配もある。
年賀状は一年の安否を知る上で大事な手がかりであり、またお付き合いをする場合には何かしらのあいさつ代わりとなるので、これを疎かにすると大変面倒な事になるので、こればかりはおざなりにするわけには行かない。
やはり、平素のお付き合いも大事ではあるだろうが、このような年中行事でのお付き合いも大事な事なのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新年2日目・・・

正月2日目、そろそろUターン組みの帰り始める頃である。
田舎から沢山のお土産を持ってまたと会へと戻っていく。
何となく年末はあれもこれもと欲張った割には仕事や他の作業がはかどらなかったような気がする。
先程、外出先から戻ってみると年賀状の第2弾が届いていた。
つい2・3年前まで急いで年内中に書いていたが、出しても帰ってこないもののあるので、年賀状が来たものについては返すようにしている。
本来なら、お付き合いの度合いによっては出さなくてもいいものもあるのだろうが、どうしてもこの時の義理などは大切になってくる。
今、ログインしてブログの妖精から、今年の抱負を投稿してみないかとのコメントがあったが、あくまでも抱負とはある意味での努力目標であり、あまり実現しそうも無いことを書いても仕方が無いので、今年もマイペースで暮らすことであり、あまり無駄遣いをしないことぐらいのモノだろう。
といっても無駄遣いするほど金が稼げる商売でもないので、無理な話ではあるが、一応希望として抱負らしくまとめておけば良いのかも知れない。
しかし、昨日の夜、自転車で路側帯の段差において、あまりに路上照明が暗いので、大転倒をする羽目となり、顔面に大きなする傷を作る羽目になっしまった。
本来、路上照明はその様な事故防止のためにあるはずなのに、全く役に立っていない。
電気代でもケチったのたかとも思ったが、何せ貧乏な市なので、仕方も無いし、そこまではケチをつけたからといってどう変化するものでもない。
そこで、今年の抱負の第2弾は怪我をしないようにしようと考えた。
やはり、一年に一度神社へお参りへ行き、無病息災、交通安全、家内安全、身体健固など、たった十円ぐらいのお賽銭で、全てを願うのは余りにも都合が良すぎるような気がするので、持病の一つや二つは仕方ないとしても、不慮の事故だけは気をつけて暮そうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年も新たに・・・

年も新たに2009年、平成21年となった。
かなり遅い時間まで起きていたので、今日は午前中まで布団の中にいた。
昼間近くなり、気晴らしに自転車で外へ出てみると、神社の方へ行く車の列が結構走ってた。
家族をつれて、参拝に行くのだろう、今年一年の家族の安全と平和や、病気や災いなどを遠ざけて健やかに暮らせるよう願ってくるのだと思う。
また、近くのスーパーなどでは、お客さんなどの接待や、これからUターンして行く、家族のためにお土産などを買っているのだろう、カートにいっぱいの買出し品を駐車場まで運んでいた。
また別の場所へ行くと、年賀状配達の学生が忙しいそうに家々を回っては年賀状をポストに入れていた。
毎年元旦の日のおなじみの後景である。
今日は天気も良く、おそらく初日の出を見に行った人達は綺麗な日の出を見ることが出来たのではないだろうか。
昨日からサーバーも大変混んでいるのか、動きがちょっと鈍く感じる。
昨日、別ブログの方でも暮のあいさつを書き込んでみたら、表示されるまでに時間がかかってた。
携帯での年賀状代わりにメールであいさつをする人達が増えてきたせいでもあろう。
昔は、知人や友人の家にお年始周りをしたものだが、今はその風習の少なくなり、あまり見かけることは少なくなっているように思う。
やはりこれも時代の波というものなのだろう。
これからまた新しい一年をやっていかねばならないが、この一年がどのようになっていくのかは本当に予測が難しくなってきているように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »